副業でも分かる自主性を継続する難しさ
ブログを書き始めて5日目。毎日書いてみる、やってみる、という気持ちで今も小さく前に進む気持ちで書いている。このブログは、ちょっとお堅い日記みたいだな、と振り返ってみて思うが、それもまた手探りでやってみた結果なんだと思う。
昨日、一昨日と会社でサラリーマンとして仕事をしてみて現段階で大きく感じた違いについて書いてみたい。
それは【自主性の重要性】である
先に言い訳をするならば、サラリーマンでも、教師でも、看護師でも、どんな職業だとしても自主性がとても大切であるし、必要だということは理解している。そして、自主性を持って仕事に取り組んでいる人は成長しているな、と9年間サラリーマンをしていても感じる。
ただ、サラリーマン及び雇用されている人のほとんどがその自主性を持たずしても仕事が回るし、お給料をもらうことができるということだ。日々の仕事をしていく中で、やらなければいけないことが出てきて、タスク、TODOといったものになって「〜しなければならない」、という感情になって日々の仕事に取り組む様になる。
少し大袈裟に言えば、そのタスク、TODOをすることが仕事になる。
それは間違いではない。実際、その作業をこなすことによってなにか価値を持つモノに変わり、お金と交換するモノやサービスになるからだ。
ここでこのブログと比較してみよう。このブログについて言えば、やらなくてもよい。自主性以外の何者でもない感情によってこの記事が作られている。初めてすぐのブログにまだ価値というモノは伴っていないし、これからいつ、どのタイミングで価値あるものになっていると判断するのも難しい。つまり、ブログを書く事は自主性なくして成り立たない。
例えば自分が社長として会社を立ち上げるとすれば、それも自主性である。その中で例えば雇用が生まれれば、お給料をお渡ししなければならないし、モノやサービスを売ることが出来たなら、お客様へモノやサービスを提供しなければならない、という考えになるが、その根本は自主性から始まっている。
こう考えてみると、サラリーマンとしてやらなければならない事を受動的にこなすだけでお給料を頂けるというのはありがたいな事だなと思う反面、サラリーマンは自主性をもってやりたい事をやれているのか、という事を感じ辛いのではないかと思う。
少し答えの出ない哲学的な話になったので、この辺りで締めようと思う。
ただ、一度の人生の中で自主性を持ってやりたい事は何か、を探す旅をしているのが今の私でありもしも同じ悩みを抱えている人がいてその一歩が踏み出せない人がいるなら
その一歩を踏み出すきっかけに私のブログがなれればいいなと思うし、それが私が自主性を持って記事を書ける今の原動力だと思う。
では、また。
※ブログは、自分と向き合うにはとてもいいのかもしれない。
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